ときの森 | デイサービスときの森 - デイサービスときの森 | 奈良県御所市


2019年05月11日
Vol.3

人は承認されることを望む

私もそうだが、誰でも「人から自分の存在を認めてもらいたいものだ。(いい意味で)」
「歳を取ったから、もう何の望みもない。」
とよく言われるが、そんなことは絶対ない!
自分自身が歳を重ねてきたからこそ解る。
逆に若い頃のほうが、社会に対し、反逆していて、承認されるより、否定されたがっていたように思う。
「俺のことなんか、だれにもわからないだろう!」などとうそぶいて孤立を良しとしていた。それが格好いいと思っていた。みんなと同じことが迎合だと否定していた。
しかし、恋をして、結婚して、子供を持つと、肩をいからせ強がって見せたそんな自己中心的な自分が滑稽に思えるようになった。
「もっと素直に受け入れたら」見える世界も変わっていくものだ。
意地を張らず、素直に相手のことを想って、喜んでもらう、いや、一緒に喜びを分かち合うのだ。
そう、「否定」ではなく「承認」が人を幸せにするのではないだろうか。
2019年04月27日
Vol.2

私が送迎に拘ること

ときの森を始めて間もない頃だったと思う。
ある女性の利用者の方から朝の送迎前に電話があった。
「今日は用事があるから、デイサービスをお休みします。」
その方は姉妹二人で暮らしておられ、息子さんが奈良市内に住んでおられた。
ご本人はいたってお元気な方で、どちらかというと一緒に住んでおられる姉のほうが見守りを必要とするくらいであった。
だから、「用事で休む」と連絡をもらった時には、特別気にも留めず休みを受付けた。
今のときの森であれば、必ず家族とケアマネージャーに連絡を取って、自宅に伺いもするのだが、当時は、二人暮らしで姉もおられるからと、深く注意を払わなかった。
悔いの残る出来事が起きたのは、その日の夕方のことだった。
その利用者さんが亡くなられた。
その事実を知ったのは、翌朝のこと。
朝に、奈良に住む息子さんが訪ねてこられ、「実は先日、母が亡くなりました。」
事情をお聞きすると、昨日、お姉さまが一階の居間で亡くなっている妹さんを夕方発見したという。二階で寝起きされているお姉さまは、昨日は昼前から何度も一階に降りてきていたのだが、居間で倒れている妹には気づかなかったそうで、デイサービスを休むと聞いていたが、気が変わって行ったんだろうと思っていたらしい。そして、夕方になり居間に入って倒れている妹を発見した。
心筋梗塞だった。
私はその話を息子さんからお聞きして、すぐにお詫びを申し上げた。
すると「いえ、うちの母は、ときの森さんに行くようになって明るくなりました。いつ家に帰っても、ときの森さんの話ばかり言ってました。離れて暮らす私には本当にありがたいことでした。こちらがお礼を言わせていただきたいです。良くしていただきありがとうございました。」それからこう続けられた。
「きっと、母は体調が悪かったのでしょう。でも、大好きなときの森さんを体調がすぐれないから休むなんて、きっと言えなかったんでしょう。そんな気遣いをする人でした。」
最後に。「私は、ときの森さんに出会えて、母は幸せだったと思います。これまで、あんな嬉しそうな顔で笑う母を見たことがありませんでした。本当に最後に素晴らしい時間をいただきありがとうございました。」
話の途中から息子さんは泣いておられた。
そして私も。
私は思った。
「あの時、なぜ、家まで顔を見に行かなかったのか!」
「来なくていいから、出かけるんだから」と言われても行くべきだった。
『悔い』が私の胸を苦しくなるほど締め付けたこと、今でも忘れることができない。
その日以来、ときの森は「お休み」と言われても、必ずお顔を見に行くようにしている。
何もなければ万々歳!
もし、すこしでも異変を感じたら、どんなことしてでも「ときの森」にお連れするようにと。連絡がつかなかったら、つくまで何度でも尋ねるようにしている。
自分たちは、一人の高齢の方の命を預かっているのだ。
そのことを、片時も忘れてはいけない。
2019年04月12日
Vol.1

感動するということ

「ときの森さんって、いつも何かいろんなことされてますよねー」と、先日市役所にお邪魔した折、ある方から言われた。
確かに「この十四年、いろんなことをやってきたが、自分としては、それほど『いろんなことをやってきた』気はしていない。
それどころか、最近は、やり足らない気持のほうが強い。
その昔、「ときの森は、サプライズがいっぱい!」と言わんばかりに、いろいろな新しいことをやっていた。
オープンしたての十四年前のときの森は、デイサービスとしては何をするにつけ新しかった。
「サプライズ」は、相手の期待を超えたところにある、相手が思いもしないことをした時に生まれるものだ。
そしてそこに「感動」がある。
「感動」には、「うれしい」「幸せ」という「涙」もついてくる。
私は、今でも毎日そのことばかりを考えて生きている。